僕のオタクとしての自我は、中学3年の夏休み――2017年の夏に芽生えたんだと思います。オタク・キャリア自体は中1で始まったのですが、自分なりの選好とか主張とか、そういったものをはっきりと携えて、読むもの、見るもの、ひいては”愛するもの”を選び始めたのがその時期ではないか、ということです。
そんな夏を振り返るとき、かならず思い出される作品が、鶴亀まよ先生の『三上と里はまだやましくない』です。出会った2017年夏から2022年初春の完結までの約4年半――高校入学から卒業、大学受験、大学進学、コロナ禍――あまりにも長くて、あまりにもたくさんの変化にさらされた歳月を、僕は、『三上と里』とともに歩むことになりました。
男子校(個人的には全寮制じゃないのがミソだと思っている)の寮でルームメイトとなった三上勇斗と里涼一がほんの思い付きでキスしたところから話が始まり、すれちがい、怒り、悲しみ、嫉妬し、喧嘩し、笑い、喜び、好きになり、そして高校卒業までの日々を過ごしていく――身体の距離と心の距離のバランスと、ふたりなりの幸せ……というか「いい方」をマジメに探って作っていく――そんな物語だと思っています。全てが解決する「ベスト」ではなく、その場その場の「ベター」をその都度探っていく実直さが通底している、という感じでしょうか。
この作品について僕は「なぜ好きなのか」ではなく「なにを好きになったのか」を、語ることになります。『三上と里』にはじめて出会ったとき、僕はまだ趣味も人格も愛するものも道理も何もわからない――何者でもない存在でした。ゼロベースで「僕」を構築していく大工事の、ずいぶん最初の工程に現れたのが、『三上と里』だったのです。『三上と里』を読むという体験を土台に混ぜ込みながら、僕の自我はできていったのです。あらかじめ自我があって『三上と里』を好きになったのではなくて、『三上と里』を好きな僕が、僕になったのです。
当時の僕にとって、三上と里は2歳上の「お兄さん」たちでした。(連載が終わる頃にはずいぶん年下になりましたが)
三上の、プラスの感情もマイナスの感情も全力で体験する、まっすぐマジメにバカなところ(けなしてないよ)は、当時すでにひねくれの道を歩みつつあった僕にとって、少しだけ眩しく感じられました。
いっぽうの里は、おおざっぱに括れば「男前クールキャラ」ということになるのですが、それでは何かを取りこぼしている気がするというか……彼はどこまでもどこまでも「ふつう」なのです。
(「ふつう」という言葉は容易に暴力に転じうる言葉なのであまり使いたくないのですが、里に感じる愛おしさをもっとも的確に表現する言葉が、いくら考えても「ふつう」なのです)
テンションは低いけれど、人並み外れて冷血なわけでもない。人への情も愛も、彼なりにちゃんと持っているし、マジメに示している。そして、嫉妬だとか寂しさだとか、心地いいだけではない感情もそれなりに持ちあわせている。そんなことが、どうしようもなく愛おしいのです。
彼らはどこまでも未完成です。感情も人格も未完成で、不完全で、不安定で、何もかもがすんなりとはいかない面倒な日々を、マジメに、その都度ちゃんと感情を体験しながら、そしてその感情を行動につなげたり、つなげなかったりしながら生きています。それがどうしようもなく心に残りました。
特に、普段低体温ぎみな里がたまに見せる、不安定な感情のゆらぎは、鶴亀先生の描写の緻密さも相まって、本当にすばらしいものがあります。
この作品を通じて僕は「なにを好きになったのか」――それは、ひとつずつマジメに感情を体験していく、そのたびに人生をベターな方に微修正していく……そんな、生きることに対する実直さだったんだと思います。
以下すこし、具体的な印象に残ったシーンやエピソードについても語ります
2巻に収録された進路選択のモヤモヤをめぐるエピソードは、大学受験が全部終わった2021年になってから読みました。沖縄の進学校出身の僕としては「大学進学=別れ」というのはあまりにも当たり前の事実で、離れ離れになることがお互いの成長のためで……それでもやっぱり受け入れたくない事実でした。そういう悲しみや悩みやモヤモヤを、高3になった三上と里もマジメに体験してくれたこと。それが、無性に嬉しかった記憶があります。
全然違う世界で違う人生を送っている三上と里だけど、僕の感情を、彼らの感情を、取り落とすことなく生きてくれているのです。
あとは、ゲイのサブキャラ・あかりに対する三上の言葉が、その後の人生を生きていくうえでシンプルに救いになりました。
「男が男を好きになるって 普通のことじゃないんだよ」と自嘲気味に言うあかりに「おまえ 言われたのか そんなこと 誰かに」と、ただ傷ついた悲しんだ顔で返してくれた三上も、「なんでお前が謝るんだよ」「会ったばっかのやつに男が好きとか女が好きとか言わねーだろ誰も」と吠えてくれた三上も――
―――三上を突き動かしたのは、「友達が傷つくのを見たくない」という単純なエゴかもしれない。それでも、その言葉が、あかりの、そして僕の、何よりの救いになった。社会も世界も変わらなくても、ひとつひとつマジメに感情に対峙した三上が、こういう言葉をかけてくれたこと。それがどうしようもなく大事な思い出になった。そういう、大切な言葉たちです。
陳腐な言葉になりますが、あの夏『三上と里』に出会っていなかったら、今の僕はいません。ほんとに。出会ってくれて、ありがとう。大好きだ!